最高裁判所第一小法廷 平成9年(オ)671号 判決 2000年9月28日
上告人(原告平成七年(ネ)第四八四二号事件被控訴人・
同第四九二七号事件控訴人・平成八年(ネ)第二一〇号事件附帯被控訴人)
株式会社ローゼンホーフ
右代表者代表取締役
中村富茂夫
右訴訟代理人弁護士
畠山保雄
石橋博
中野明安
被上告人(被告平成七年(ネ)第四九二七号事件被控訴人・
平成八年(ネ)第二一〇号事件附帯控訴人)
守谷和剛
右訴訟代理人弁護士
藤田謹也
土居久子
被上告人(被告平成七年(ネ)第四八四二号事件控訴人・
同第四九二七号事件被控訴人)
田中末芳
被上告人(被告平成七年(ネ)第四八四二号事件控訴人・
同第四九二七号事件被控訴人)
大澤浩吉
被上告人(被告平成七年(ネ)第四八四二号事件控訴人・
同第四九二七号事件被控訴人)
守谷武紘
被上告人(被告平成七年(ネ)第四八四二号事件控訴人・
同第四九二七号事件被控訴人)
守谷春子
被上告人(被告平成七年(ネ)第四九二七号事件被控訴人)
福田維明
右五名訴訟代理人弁護士
水石捷也
長谷則彦
秋元善行
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人畠山保雄、同石橋博、同中野明安の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 大出峻郎 町田顯)
上告代理人畠山保雄、同石橋博、同中野明安の上告理由
本件は、東京都観光汽船株式会社(以下、観光汽船という)が訴外株式会社ケイアンドモリタニ(以下、ケイアンドモリタニという)に対し無担保で資金の貸付・債務保証を行ったこと、破産債権届出の取下げを行なったこと、汽船興業株式会社(以下汽船興業という)の違法行為について、別件訴訟において観光汽船が裁判上の和解により和解金を負担したこと、観光汽船に損害を与えた観光汽船取締役の忠実義務違反(商法二五四条の三)を理由として商法二六六条一項五号に基づきその損害の賠償を求めているものである。
原判決には、判決に明らかに影響を及ぼすべき商法二五四条の三の解釈・適用の誤まり、経験則違反があり、破棄を免れない。
一 グループ企業概念の不当性について
原判決は、観光汽船とケイアンドモリタニとの間にグループ企業なる関係があることが全ての前提であるとし、「会社の取締役が、相互に資本関係がないにしても、人的構成及び事業運営の面において密接な関係にあり、『グループ企業』とみられる関係にある他の営利企業の経営を維持し、あるいは倒産を防止することが、ひいては自己の会社の信用を維持し、その利益にもなるとの判断のもとに、右企業に対して金融支援をすることは、それが取締役としての合理的な裁量の範囲内にあるものである限りは、法的責任を追求されるべきことではない。このような観点からして、会社の取締役が、自らの会社の経営上特段の負担にならない限度において、前記のような関係にある他の営利企業に対して金融支援をすることは、担保を徴しない貸付け又は債務保証をした場合であっても、原則として、取締役としての裁量権の範囲にある行為として、当該会社に対する善管注意義務・忠実義務に違反するものではなく、結果的に貸付金などを回収することができなくなったとしても、そのことだけから直ちに会社に対する右の義務違反があるとして、会社に対して損害賠償責任を負うものではない」(五七ページ)と述べている。
要するに原判決は「資本関係がないにしても、人的構成及び事業運営の面において密接な関係」のある会社をグループ企業であると定義付けし、この場合には取締役の善管注意義務・忠実義務を大幅に減ずるべきであるというのである。かかる人的構成及び事業運営の面で密接な関係があるとされる観光汽船とケイアンドモリタニは、経済的支援は融資に限られ出資は一切行われていなかった。
しかし、株式会社にあっては相互に資本関係がない以上、いくら人的構成及び事業運営の面において密接な会社であるとしても、それだけで自らの会社の経営上特段の負担にならない限度ならば他のグループ企業に対して金融支援をする場合の取締役の忠実義務を大幅に軽減することはできると考えるべきものではない。相互に資本関係がない株式会社においても確かに「人的構成及び事業運営の面において密接な関係」にある会社はあるが、株式会社は有限責任を負担する株主のみが会社の社員である会社なのであり、株主は会社の共同所有者であるのに対し、取締役はその株主が構成する会社の最高意思決定機関である株主総会によって選任され会社に対して忠実義務を負う取締役会の構成員にすぎないのである。確かに取締役に経営の裁量権は認められるべきものではあるが、取締役の裁量権は、自らの会社の利益を図るために行われるべきものであり、企業人として合理的な選択の範囲を外れたものでないこと、経営判断が違法行為でないこと、取締役が自らまたは第三者の利益を図るためになしたものでないこと、経営判断をなすべき事実について不注意な誤解がないこと、経営判断の過程が明らかに不合理でないことなどの諸要件を満たして初めて認められるべきものである。この理はいくつかの下級審判例において支持されている。アメリカ判例法において一九世紀以来発展してきた「経営判断の原則」の法理も、その法理を適用するためには、経営者は経営判断の対象に利害関係を有せず、経営者はその対象について合理的に信じられる程度に知っており、その上で経営判断が会社にとって最善の利益に合致すると理性的に信じたことが必要であり、且つ経営判断は会社に対して違法行為をさせるものでないことが要件と考えられている。ところが、原判決の言うグループ会社にあっては、相互に資本関係が無いに拘わらず「人的構成及び事業運営」が密接であることの反面として取締役が自分個人または他のグループ会社の利益を図るため会社の株主利益(特に経営権を有しない少数株主の利益)を犠牲にする危険性は却って大きくなることさえあるのである。このような会社間における貸付・保証について取締役の忠実義務を判断する場合には、取締役個人とか他の会社の利害関係が絡むことが寧ろ大きいのであるから、取締役は自らの会社の利益を図るために貸付・保証行為を行ったのかどうか、取締役が自らまたは第三者の利益を図るためになしたものでないかについて寧ろ慎重に検討されなければならないものである。現に本件では、ケイアンドモリタニに対し金融支援をしたとしてもそれが観光汽船の経営を維持しその利益にもなるということは一切ありえなかったのである。
相互に資本関係がない株式会社においてグループ企業という概念を取り入れ取締役の忠実義務を大幅に減ずる考え方は、商法二五四条の三の解釈に違反するものであり、原判決は明らかに判決に影響を及ぼす法令違反があるから破棄を免れないのである。
二 ケイアンドモリタニと観光汽船の関係がグループ企業に当たらないこと
原判決は、観光汽船とケイアンドモリタニとの関係をグループ企業と認定した根拠として、<1>ケイアンドモリタニは、亡守谷理助(以下、亡理助という)、被上告人守谷和剛、同大澤を主たる株主としていたこと、<2>本件で問題とされている昭和五四年以降についてみると、昭和五九年五月三〇日までは、被上告人守谷和剛が観光汽船及びケイアンドモリタニの代表取締役を務め、同大澤も両社の取締役を兼ねていた時期があったこと、<3>被上告人守谷和剛、同大澤及び亡理助の持ち株を合計すると、観光汽船の発行済株式総数の約半数、ケイアンドモリタニのそれの過半数を制していたこと、<4>昭和四七年四月以降、ケイアンドモリタニは、観光汽船に対して、運転資金を貸し付け、観光汽船所有の船舶の修繕をケイアンドモリタニの費用負担において行うなど、多大の支援をしてきたが、昭和四九年ころからは、逆に観光汽船がケイアンドモリタニに対して運転資金を貸し付けるなどしてきたこと、<5>ケイアンドモリタニは、観光汽船が中央区長から河川敷地の占有許可を受けて設置した待合所及び桟橋を改造して、会員制ヨットクラブを経営していたこと、の五点を挙げている(五五ページ)。しかし、原判決の根拠とする事実だけでは、原判決のいうグループ企業に該当するとは言えない。すなわち、<3>の点については出資の関係にも密接なものがあると認定するため指摘したものであろうが、被上告人守谷和剛の観光汽船の株式が昭和五五年八月七日に義父に移転していることは、原判決末尾添付の「株主推移明細表」は被上告人が提出した平成五年八月一〇日付準備書面添付の「別表」と全く同じものであるから客観的に明らかであり、原判決の「――持ち株を合計すると、観光汽船の発行済株式総数の約半数」を有していたとの事実認定は昭和五五年八月七日以降は客観的証拠がなく、観光汽船とケイアンドモリタニを関係付ける理由にはなり得ない。<4>については、ケイアンドモリタニから観光汽船に対する資金援助は昭和四七年四月から昭和四九年四月までの二年間であり、延べ五〇〇万円程度で冬場のつなぎ資金にすぎなかった<証拠略>が、これに対して観光汽船のケイアンドモリタニに対する融資は昭和四九年五月よりはじまりその額は昭和五四年三月段階で既に実質的に総額約金七四二〇万円となっており(原判決七九ページ、被上告人の平成五年七月一日付け準備書面添付の「ケイアンドモリタニに対する貸付の推移」)からしておよそ比較の対象にはならないし、<5>については、観光汽船が中央区長から河川敷地(以下銀座バースという)の占有許可を受けて設置していた定期船待合所をケイアンドモリタニが無許可で改造し会員制ヨットクラブを経営していたのである。<4>及び<5>は、いずれも観光汽船とケイアンドモリタニの代表取締役を兼務する被上告人和剛が他の取締役と共に両社を「私物化」しケイアンドモリタニの利益のためと観光汽船を一緒に扱い河川法に違反する事業を行っていたという違法な事実行為を挙げているにすぎないのであり、両社間には相互間に依存・補完関係があったとの肝心な事実関係はこれ以外には認定されていないのである。以上からすると、原判決がケイアンドモリタニと観光汽船をグループ企業であると認定した個別事実としては、役員が人的に密接なだけしか存在しない(業務運営の密接性はない)のであり、グループ企業であることを根拠付ける事実として不十分であると言わざるを得ない。既に記載したように、取締役の裁量権は、自らの会社の利益を図るために行われるべきものであり、企業人として合理的な選択の範囲を外れたものでないこと、経営判断が違法行為でないこと、取締役が自らまたは第三者の利益を図るためになしたものでないこと、経営判断をなすべき事実について不注意な誤解がないこと、経営判断の過程が明らかに不合理でないことなどの諸要件を満たして初めて認められるべきものであるが、本件にあっては、被上告人和剛ら観光汽船とケイアンドモリタニを経営支配する共通同族株主によって観光汽船が「私物化」され、専らケイアンドモリタニの特定株主や関係取締役の個人的利益を図るために観光汽船が利用され観光汽船の少数株主の利益が犠牲にされていたにすぎないのである。
本件の観光汽船とケイアンドモリタニの関係をグループ企業に該当するとして観光汽船の取締役の忠実義務の程度を減じた原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反として破棄を免れないのである。
三 忠実義務違反行為の始期について
1 原判決は、「昭和五八年一〇月以降は、ケイアンドモリタニに対し、新たに多額の金銭の貸付けや債務保証を行うことは、観光汽船の取締役として差し控えるべきであり、――仮に、貸付け等をするにしても、ケイアンドモリタニが倒産する事態に備えて確実な担保を徴するなどの十分な債権保全措置を講ずべきであった」とするが、これ以前における観光汽船のケイアンドモリタニに対する貸付けや債務保証について「貸付けをし、又は同社の債務につき保証をすれば、貸付金が回収不能となり、又は保証人として代位弁済を余儀なくされた上、弁済金を回収できなくなる危険が具体的に予見できる状況にあったとはいえない」としている。
2 昭和五四年四月五日以降のケイアンドモリタニに対する貸付け・債務保証
しかし、ケイアンドモリタニと観光汽船は資本関係が相互になかったし、ケイアンドモリタニの昭和五二年以降の経営状態は悪化の一途を辿っており(甲第一二号証)、昭和五四年三月三一日(昭和五三年会計年度末)現在の観光汽船からケイアンドモリタニに対する貸付残元本は約金二四二〇万円に上っており、ケイアンドモリタニはこれとは別途に昭和五四年三月二〇日に観光汽船名義で五〇〇〇万円を借り入れていた(原判決七九ページ)。したがって、ケイアンドモリタニの実質的な借入金額は昭和五三年会計年度末現在約金七四二〇万円を超えており、このような借入れ金額はケイアンドモリタニのような資本金は金二五〇万円にすぎない零細企業にとって余りにも巨額なものであった。このような中で観光汽船は昭和五四年四月五日にはケイアンドモリタニに対して新たに金五〇〇万円の貸付(第一審判決添付の「貸付債権目録」一)を行ったのである。
しかも一方、ケイアンドモリタニの銀座バースでの事業は、観光汽船の河川法に基づく定期船待合所のための使用許可という利用権(すなわち、観光汽船の得ている使用許可は所有権、借地・借家権のような確固たる権利と比べ極めて脆弱なもの)にすぎないし、中央区長に対し無断でケイアンドモリタニは観光汽船から水面使用許可を転貸してもらった上、使用許可条件に違反し定期船待合所を中古のボート、ヨットの営業目的に使用しその後会員制ヨットクラブ施設に転用した河川法に違反する極めて不健全な事業活動であった。そのため中央区長からは昭和五〇年頃よりヨット、モーターボートが係留され始めたため再三是正指導が行なわれていたのである<証拠略>。このようなケイアンドモリタニの活動を河川法に適合させることは不可能であったから、観光汽船の取締役はケイアンドモリタニの事業が河川法による許可が得られず必ず破綻することを予見できたのである。したがって観光汽船がこのような状態におけるケイアンドモリタニに対して金融支援をしたとしても観光汽船の経営を維持し、その利益にもなるなどということは一切ありえないし、そのことを観光汽船の取締役は十分認識していた筈であるが、観光汽船の被上告人和剛以外の取締役は貸付けするにあたり、被上告人和剛が求めるまま取締役会における検討を一切経ず安易に貸付を実行したのである。
ところで商法二五四条の三の忠実義務の規定の『法令を遵守し』とは、同規定の趣旨から取締役自身が法令に違反してはならないということのみならず、さらに法令を遵守しない者との間で取引をしたり、支援しないことも包含するものと考えられるべきである。法治国家における国民の基本的義務は法令を遵守することにあるからである。昭和五四年四月五日以降の同行為はすべて忠実義務違反となるものであり、原判決がこの時期以降の貸付け・債務保証を取締役の忠実義務違反であるとしなかったのは判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反にあたり、原判決はこの点で破棄を免れないものである。
3 昭和五七年五月二五日以降のケイアンドモリタニに対する貸付け・債務保証
仮に昭和五七年五月二五日より前のケイアンドモリタニに対する貸付・債務保証が忠実義務違反と言えないとしても、少なくとも昭和五七年五月二五日以降の貸付・債務保証については被上告人和剛らの賠償義務が認められるべきである。第一審判決も述べているように、「ケイアンドモリタニは、昭和五四年度以降、毎期、損失を計上する等その経営状態が悪化し、昭和五六年ころからは、融通手形による資金調達も図らざるを得ない状況であったところ、昭和五七年四月以降は銀座バースの占有許可の更新が行われなかったため、営業の基盤の危うい状態に至っていたと認められる。このように倒産に至ることも十分予見可能な状況にあったケイアンドモリタニに対し、従来の貸付金等も殆ど返済されていないのに新たに多額の金銭や保証を行うことは、観光汽船の取締役として差し控えるべきであり、仮に、貸付金などをするとしても、ケイアンドモリタニが倒産する事態にそなえて確実な担保を取得するなどの十分な債権保全措置を講ずべきであった」(四二ページ)のである。将来に保証がないケイアンドモリタニに本件のごとく貸付、債務保証をすることは経営者として合理的裁量を逸脱していると言わざるを得ない。原判決は、少なくとも昭和五七年五月二五日以降のケイアンドモリタニに対する貸付け・債務保証については被上告人らの賠償義務を認めるべきものであり、原判決がこの時期以降の貸付け・債務保証を取締役の忠実義務違反であるとしなかったのは判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反にあたり、原判決はこの点で破棄を免れないものである。
なお、観光汽船の貸付行為が関与取締役の忠実義務違反となることは、次の観点からも明らかであると考える。すなわち、観光汽船がケイアンドモリタニを支援する意向があったというのなら、その支援する方法としては無担保の融資よりもケイアンドモリタニへの出資という方法を用いるはずである。被上告人守谷和剛らに経営権があった昭和五九年までケイアンドモリタニの資本金は金二五〇万円であったから、少なくとも昭和五四年度より欠損が続く債務超過で過小資本のケイアンドモリタニに数千万円から億円単位の貸付を行っても単にケイアンドモリタニの負担を加重するものであり、貸付金の返済どころか金利負担にも耐えられない状態であったことは明白である。それにも拘わらず、被上告人らが出資による株式取得を避け、ケイアンドモリタニの債権者の追求を恐れて、漫然と融資により資金供与を行っていたのである。将来に保証がないケイアンドモリタニに本件のごとく個々の貸付を行ったり、債務保証をすることは企業救済のテコ入れとは程遠く到底合理的選択とは言い難いのである。
四 破産債権届出の取下げについて
原判決は、届出破産債権の取り下げに関して「日本の経済社会における一般の企業意識に適合した合理的要請」であるとか「我が国における一般の企業意識に照らせば、取締役の善管忠義義務・忠実義務に違反するということはできない」などという。事実認定は証拠に基づきなされるのが大前提であるが、そのような一般の企業意識の存在自体立証がなされたものでもないし、公知の事実とも言い難いから、この点で原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背がある。
原判決は、そのような要請に従うことが会社に明らかな損害を与える場合にもすべて会社に対する「忠実義務」に違反しないとされることの理由については触れていない。
このような判断については、破産債権の届け出を維持することのメリットと、取り下げをすることのメリットとの比較考量、及びその点について会社取締役がどのような判断材料をもっていかなる検討を試みたかという事情が、その忠実義務に違反するかどうかの判断基準になるものと思料するが、そのような諸事情については一切触れていない。
被上告人田中はケイアンドモリタニが倒産したため観光汽船の経営者であった同亡理助、同大澤の要請により代表取締役に就任した者であるから、同亡理助、同大澤がケイアンドモリタニの債権者から追求されることを避けるため届出債権を取り下げたと考えられる。右のような被上告人田中らの取り下げの動機からすれば、債権届出を維持することのデメリットを具体的に検討しない以上は、取り下げにより損害の発生が立証されていると考えるべきであり、原判決は、この点で判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反にあたり、破棄を免れないものである。
五 汽船興業の代表取締役らの違法行為について観光汽船の取締役が責任を負うことについて
原判決は、「汽船興業は、観光汽船の子会社であるといえるが、いわゆる一〇〇パーセント子会社ではなく、また、汽船興業の法人格を否認すべき事情も認められない上、一審原告の主張する取得、貸付が観光汽船の指示と計算によってされたものであることを認めるに足りる証拠もない」と判示し、件が法人格濫用もしくはその類推すべきものであるとは判断していない。最高裁第一小法廷昭和五三年九月一四日判決は、「法人格の濫用と認められる場合には、いわゆる法人格否認の法理」の適用がある旨判示しているが、原判決は本件が法人格濫用もしくはその類推すべきものかどうかの判断をしていないのである。
観光汽船と汽船興業との関係は次のとおりである。
<1> 汽船興業の発行済株式の約七五・二パーセントは観光汽船の保有であり、二二・三パーセントは被上告人田中末芳、亡理助、被上告人守谷武紘、同大澤、同福田維明ら観光汽船の経営支配側役員に保有され、残一〇〇株についても観光汽船の経営側関係者で保有されている。
<2> 観光汽船の取締役全員が汽船興業の取締役を兼務しており、代表取締役も同一人物である。したがって、その株主構成からすれば、観光汽船以外の株主が汽船興業に対する観光汽船の行為に異議を唱えることはまずあり得ない事実である。
<3> 汽船興業の営業用船舶について観光汽船より反対給付なしにすべて優先的に提供を受けることになっている。他社の船舶を傭船しないのは、汽船興業が観光汽船の船舶を夜間有効利用するために設立した会社だからである。
<4> 汽船興業の乗客について通常独立した企業間の傭船契約で設定される最低船舶使用料の保証条項(最低の乗客を保証する条項)はなく、したがって、その乗客が保証を下回った場合のペナルティー条項はない。さらに船舶使用料が年間一億円以上になった場合総額の一〇パーセントの割引をする旨合意している(甲第五〇号証)。
<5> 汽船興業の運賃は観光汽船の乗客に対する認可料金を基準に設定されており<証拠略>、所謂アームス・レングスの取引になっておらず、独立性はない。
<6> 航海時間の原則二時間の内三〇分の準備及び回船時間の費用は汽船興業にチャージされていない。すなわち、この点においても独立性はない。
<7> 汽船興業の基本料金及び延長料金について二五パーセントの割引を、貸切料金については二〇パーセントの割引をする旨合意がなされている<証拠略>。
<証拠略>。
右のとおり、汽船興業は観光汽船の取締役が企画した観光汽船の船舶の夜間有効利用という目的実現の為に設立された子会社であり、かつ、観光汽船がこの営業を行わなかったのは夜間レストランボートとして提供される食事により食中毒等が発生した場合、本業が営業停止処分を課されることを避けるための便法にすぎず、別法人であっても独立性が全くない。右のように観光汽船にとって汽船興業の経営は完全なガラス張りであり両社の仕切り価格はいつでも変更できる関係にあるから、本来汽船興業の利益は観光汽船に帰属させるべきであるにもかかわらず、観光汽船の株主に対する隠蓑として観光汽船の利益を汽船興業に移転し、それを被上告人らの為に違法行為に流用していたのである。このように、隠蓑たる会社において親子会社の経営者が同一であり両社の経営が何ら拘束なく行われる場合であったとしても観光汽船の株主に対してその隠蓑が正当化されるのであれば、これは法人格否認の法理の実質的意義を失わせるばかりでなく、親会社の株主は他の法令や実態によっても子会社による親会社取締役の責任追及ができなくなり極めて不当な結果を招くものである。
本件は、まさにこのような意味での法人格の濫用事例乃至類推適用事例に当たると考えるべきものであるから、被上告人守谷和剛が汽船興業を代表して銀座ヨッティングクラブの会員権を取得し、ケイアンドモリタニに金銭を貸し付け、同社の経費を負担したこと並びにこれを阻止しなかった被上告人田中末芳、同大澤、同守谷武紘及び亡理助の行為が観光汽船の取締役としての忠実義務に違反し、観光汽船に対する損害賠償義務を発生させると解すべきであり、原判決はこの点で判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反にあたり、破棄を免れないものである。
六 別件ケイアンドモリタニ訴訟の和解における和解金の負担
原判決は、観光汽船の和解金の負担が裁判上の和解であること、観光汽船の取締役会で決議をした上で和解に応じたこと、かつ被上告人大澤、亡理助を最終負担者とする和解も同人らが応じない場合は成立し得ない等を理由として、観光汽船が裁判上の和解により和解金を支払うことに関与した観光汽船取締役の判断の正当性を認めている。原判決においては、観光汽船が和解金を負担するべき実態及び法的根拠については全く判断の対象となっていない。そもそも当該訴訟の場合実体的にケイアンドモリタニと観光汽船との間で法人格否認の法理が適用される客観的関係は見当たらず(原告が法人格否認の法理を主張したのは、ケイアンドモリタニと観光汽船と汽船興業の各会社がすべて被上告人守谷和剛一人株主であるという事実誤認に基づくものであり、当該訴訟で、その法理の適応性について何ら判示されていない)、被上告人大澤及び亡理助においても当初法人格否認の法理を否定する主張をしていたものであり、その主張を貫くことにより観光汽船の責任が認められる可能性は全くなかったのである。しかし、そのように観光汽船の責任が否定されれば被上告人大澤及び亡理助のみの責任が認められ経済的負担が生じる可能性があるため、相手方(別事件原告)が法人格否認の法理を主張してきたことを奇貨として実質的に同人らが法人格否認の法理を援用して和解に応じることにしたのである。この点は、東京高等裁判所昭和五一年四月二八日判決(判例時報八二六号四四頁)の「法人格否認の法理を取引の相手方でない者が主張することはできない」という判断の趣旨に抵触するのである。原判決は、判決に影響を及ぼすことが明白な法令違背にあたり、破棄を免れないものである。
また、原審は「被告大澤及び亡理助がケイアンドモリタニの取締役としての悪意又は重過失を認定されて第三者に対する責任を肯認されることが確実であったということもできない。」とするが、被上告人守谷和剛の裁判で同人がその責任を肯認されている事実から判断して、同人らが全く責任を負わないという判断が出ることはあり得ないものである。右に見るように、当該和解は、判決で支払いが命じられる可能性の認められない観光汽船にのみ和解金の支払義務を負担させ、その結果、判決で支払いを命じられることが確実である右同人らが和解金の支払義務を免れさせる内容のものである。被上告人田中、同大澤及び亡理助らは何ら根拠なく当該和解金を観光汽船に負担させたのであり、被上告人大澤及び亡理助は観光汽船に対して当該和解の成立したと同時に観光汽船の負担した和解金相当額の弁済義務(被求償義務)が生じているものであり、被上告人田中は被上告人大澤及び亡理助に対して速やかに観光汽船が支払った和解金の弁済を求めるべきであった。被上告人田中が被上告人大澤及び亡理助に対して和解金相当額の弁済を求めて裁判上の和解の成立には何らの影響を及ぼすべきものではないから、被上告人田中らの行為が忠実義務に違反していることは明白である。<証拠略>。
七 結語
右のとおり、本件事件の争点については、すでに主張している点に集約されているものであり、上告人主張のとおり証拠も十分である。したがって、原判決について破棄し、さらに相当なる判決を求めるものである。